29日の朝、毎回彼のことを思いながら
起きていることに嫌気がさし、
「もう明日なんてこないでほしい」とかいう
スローガンで死ぬことを決めた。
その日は病院で体調の悪そうな
(というかぼけっとしていた)私に
お医者さんは多めに抗うつ剤と睡眠薬をくれた。
小さな街をめぐっては睡眠補助剤『ドリエル』を買う。
5箱は買った気がする。
微妙に店で値段が違うなぁとなんとなく思った。
デパートのトイレでドリエルのパッケージから
錠剤だけを取り出す。結構な量の荷物になってたから。
間に彼の吸っていたタバコを買ってしまう。
最後に近所で梅酒を買い、帰宅。
薬が致死量になってないのは分かってた。
上を向いて寝て嘔吐物が気道に入ればいいと思った。
だけど私は生きていた。
無意識が支配する中で友達に連絡をとり、
知り合い程度の人には怖いメールを出し、
前好きだった子とは友達に戻っていた。
そのときの私はどんなだったのかいまだに興味がある。
初めて表に出た私の本音。
いろいろ聞きたいことがある。
「何がしたいの?」「今の気分は?」
「あなたはだれ?」
目が覚めると病院のベッドの中でお母さんがそばにいた。
体に力が入らなくてトイレにも行けなかった。
「おむつされてるでしょ?」気づくとそうだった。
次に気づくと自分のパンツをはいていた。
のどは枯れて声がでない。
私の予想ははずれて嘔吐物は気管にはいったものの
「肺炎」でとまってくれた。
それから「生きてるのか」と思うことはなく
でも確かに毎食毎食ごはんは運ばれてきて
一口は食べたはずだけど覚えてない。
右手の点滴がじゃまだったり、尿をとらなきゃいけないこと
くらいしか覚えてない。
やっと、「自分は死んでなくてでもあと少しかも」
と思い始めたらお医者さんは「もう大丈夫」と言った。
現金なもので点滴がとれた私は
管のついてない腕がうれしくて元気になった。
でも少しなにかあると「しにたい」と思い、
本を読んでは興奮し、隣の認知症のような症状の
おばあちゃんたちの奇行や失禁のにおいに気づき、
昨日、「部屋に戻りたくない」「退院する」
と点滴も終わり、用はないとばかりに退院した。
お医者さんはすごく穏やかでいい方だけど
あっさり私を退院させてくれたあたり、
私たちに縁はなかったんだろうなぁ。
私はまさかのいきなり退院に自分で偉業だと感じ、
自己満足で意気揚々と携帯を開いた。
それで迷惑をかけたことを知り、
やっと、知り、友達も離れていった。
なんとなく退院したらとりあえず彼に会って
・・・と妄想してたので残念だったけど。
でも一番大事なのは私は自分で。
彼との友情でもなく自分で。
気づいてしまって。
返ってこないメールはさみしいけど。
私は今声が出ない。ガラガラ声はさっきから出た。
だから携帯はあんまり意味がない。
時間を知りたいと思わなくなったし、
電話はできないし、メールやコミュニケーションする
気力がまだあんまりない。
入院中の不在着信は0件で
そうか、私は濃い数日間だったけど
ほかの子はなんともない普通のそういえば
4・5日間だったんだ。
さみしかったけど、ほんとに生きてるだけでいいやと思う。
生きてればまた友達ができるし、
こんな私に生きててよかったとかいう子もいる。
価値観はゆがんで23になることが嫌になくなり、
自我が強くなった気がする。
キーを打つ体力がもうないので終わり。
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